愚かさについて

微積分についての本を読もうか迷う。
美術系のセンター試験は数学が必須ではなくて、三年生のときには男女比1:6くらいの「女クラ」にいたのだった。そこで数学とはほぼ無縁の日々を送っていた。
劣等感の対象に憧れる、それもあるだろう。

しかし現象のシミュレーションにとって、必要不可欠なものであるらしいこの考え方と和解すれば、物言わぬ自然の、雲の動き、波の満ち引きに改めて詠嘆することができるのではないか、という期待もあるのである。

今、できることなら「マルメロの陽光」のアントニオのように、毎日少しずつ変わる自然を見つめて生きていたいと思う。腐り行く果実にばってんを打って、違う世界に移す作業。

ヴィーコは教育の順序について子供にはまず幾何学を学ばせ、想像力を逞しくさせてから代数解析を学ばせるべきだと言う。幾何学は類推の能力を伸ばすというのだが、おそらくその根底には、紙の表面を引っかくという幼児的な想像の型が潜んでいる。だから線はその非物質的な名の代わりに「引っかいた跡」とでも言うべきで、それは僅かな情報ゆえにいつかの自分の視界を横切ったものに呼応する。特定の対象を幻視するのに最適なスクリーンがあるのだ。

おそらくそういう物質性を感じられないために、記号の前でたじろいでいるのが私なのだが、
その理由はそれをすべて理解したとしてこの摩擦感とでも言うべきものに資するところがあるか、ということが未だ懐疑のままであるからである。

変化を感じるということに意味があるかもしれないと思う。
流れ行く時間の中の部分の対比から生まれるリズムを式であらわしたのが解析というものだろう。
しかし私は統合された式を求めたいのではなくて、肌で何かを感じたい。そしてそれをいつでも思い出せるようにしたいと願う者である。そういうものしか現実として承認したくないと感じているのであり、それが自分の愚かさの根源だと思われる。

見て、そこまで行って、触れる

この幼児的な行動パターンを拡張して、私は物を食べたり、受験したり愛し合ったりするようになったのだと過程する。
夢のような白日夢はどこから来たのか知らないが、行ける場所として、また行くべき場所として浮かぶのだ。たとえその道程がまるっきりわからなくても。
時として、もうすでにその場所にいるものとして、夢の中で私はもも色の光に包まれている。まるで何かを振り払って初めての場所に来たように。山のせまった港町の、あんなに近い稜線の岩山の向こうに、ひげのようにゆれ輝く黄金色のどこまでも続く山、遠くには別の村の灯りが見える。夏だったら、人も集まるだろうか。

触覚に戻ろう。毛布と掛布団のちがい、消しゴムのこよりを作る指。ここにある満足の形式が、レイアウトを変えるということなのだろう。人にとって物質はずっとそういうものとしてあった。エンジニアの考えとも符号する。

ずっと気になっているのは、茶室とかに特に顕著な、意匠用語の過剰に触覚的なメタファーのことだ。「にじり」口とか、「はめ殺し」の窓とか。作業はとても規矩に従ったものなのに、身体的なものが垣間見えて、このリストを唱えていくだけでも、いい気持ちになっていくに違いない。
利休が橋の木材を見てそれで茶室を作ったなんていうのも、たまらなく示唆的だ。茶室は思い出の断片なのだ。入り口を小さくして内部を大きく見せるのも、光を抑えてほのかに輝かせるのも、やはり「レイアウト」の調整と言っていいものだろう。「私」を中心にそれは弱まって、露地の外には、現実そのものがある。その移ろいに気付くのが本質だとしたら、やはりケータイってのはどうしょうもなくどうしょうもないものだと気付く、というのは置いといて、

見ることと触れること、それは単に対象との距離の問題なのか、光に包まれたり、ドゥオーモのざわめきに包まれたり、風のうねりを見ながら目をかすめて行くのを感じたり、そういう「体験」は、もはや見ることではない。しかし私がそのレイアウトを変えるような物質でもない。にもかかわらず、そこで私はときめいているのだ。